だるまおやじのこだわり
だるまおやじのこだわり
だるま食堂のおいしさのヒミツ
安心・安全にとことんこだわった「だるま食堂」
当店では、群馬県産の上州牛・上州豚を中心にひとつひとつ手づくりにこだわって作っております。
化学調味料に頼らない「ダシ」づくりは当店のこだわりです。
だるま食堂のもつ煮、すべて厳選された国産の良質な豚モツだけを使っております。やわらかく煮込んでありますのでお子様 やご年配の方でも安心して食べていただけます。
何度も何度も下茹で湯がきを繰り返し、下処理を行っているため独特のいやなクセや臭みを取り除きました。
ビタミン・ミネラルを豊富に含んだモツはコラーゲンもたっぷりで、健康にも良いと言われています。また、保存料・着色料を一切使用していませんので安心です。
創業48年、当店の秘伝の赤味噌で 手間ひまかけて丁寧にじっくりコトコト煮込みました。とてもジューシーでやわらかく、コラーゲンもたっぷり。噛めば噛むほどに、お口の中に肉のうまみが広がってきます。
だるま食堂のもつ煮と牛すじ煮込みができるまで
僕とおじいさんとの男と男の約束(開発秘話)
徹夜でひとりでせっせと製造したときのことです。
煮込んでいる間のほんの一瞬…
うたた寝をしてしまい、ガスはガンガンに炊いていて、大きい業務用の鍋の中にある商品もつ煮とその鍋を真っ黒コゲになってしまい、煮ているどころか鍋を焼いている始末。。。
あと数分で工場が火災になる寸前で目を覚ましました。
危うく、自分の命も落としかねないエピソードを何度か繰り返しつつ危機を乗り越えてきました(^^;;
これも他界した大好きなおじいさんが守ってくれたのだと思います。
実は、僕が独立する前に安定した会社を辞めようかどうしようか、、実の両親ではなく、おじいさんに相談したのです。
僕のおじいさんは、もつ煮が嫌い、、というか好きな方ではなかったのですが、ある日、僕が作ったもつ煮を食べてもらいたく思い、できたて作りたてを鍋から器によそり、サランラップして熱いうちにおじいさん家に行きました。
そこで、おじいさんにおそるおそる僕の作ったもつ煮を差し出しながら相談しました。
『僕が作ったもつ煮なんだ。いまの会社を辞めてこのもつ煮を作って商品化にして全国一うまいもつ煮屋さんになりたいんだ。』
口数少ない、もつ煮嫌いだったおじいさんが、
『こんなうまいもつ煮を食べたのは初めてだ。柔らかくて臭みがなくて食べやすくて本当にうまいな。そっか。そんな夢があるならやれるだけやってみろ!』
と激励してくれました。
そこで僕とおじいさんとの男と男の約束をしました。
『絶対に全国一うまいもつ煮屋さんになる』と。
その大好きなおじいさんは、僕の作ったもつ煮を食べた二ヶ月後にあんなに元気だったおじいさんが、心筋梗塞で急死してしまい、今では天国で僕の成長を見てくれていると思います。
群馬の名の知れない無名な小さならーめん屋から、今現在、東京や大阪の大都市やその他全国の地域で販売している姿をおじいさんが元気なうちに見てもらいたかったです。
そのおじいさんとの約束があったからこそ、 どんなにつらい時期や苦難があっても乗り越えて来れたのだと思います。
煮込んでいる間のほんの一瞬…
うたた寝をしてしまい、ガスはガンガンに炊いていて、大きい業務用の鍋の中にある商品もつ煮とその鍋を真っ黒コゲになってしまい、煮ているどころか鍋を焼いている始末。。。
あと数分で工場が火災になる寸前で目を覚ましました。
危うく、自分の命も落としかねないエピソードを何度か繰り返しつつ危機を乗り越えてきました(^^;;
これも他界した大好きなおじいさんが守ってくれたのだと思います。
実は、僕が独立する前に安定した会社を辞めようかどうしようか、、実の両親ではなく、おじいさんに相談したのです。
僕のおじいさんは、もつ煮が嫌い、、というか好きな方ではなかったのですが、ある日、僕が作ったもつ煮を食べてもらいたく思い、できたて作りたてを鍋から器によそり、サランラップして熱いうちにおじいさん家に行きました。
そこで、おじいさんにおそるおそる僕の作ったもつ煮を差し出しながら相談しました。
『僕が作ったもつ煮なんだ。いまの会社を辞めてこのもつ煮を作って商品化にして全国一うまいもつ煮屋さんになりたいんだ。』
口数少ない、もつ煮嫌いだったおじいさんが、
『こんなうまいもつ煮を食べたのは初めてだ。柔らかくて臭みがなくて食べやすくて本当にうまいな。そっか。そんな夢があるならやれるだけやってみろ!』
と激励してくれました。
そこで僕とおじいさんとの男と男の約束をしました。
『絶対に全国一うまいもつ煮屋さんになる』と。
その大好きなおじいさんは、僕の作ったもつ煮を食べた二ヶ月後にあんなに元気だったおじいさんが、心筋梗塞で急死してしまい、今では天国で僕の成長を見てくれていると思います。
群馬の名の知れない無名な小さならーめん屋から、今現在、東京や大阪の大都市やその他全国の地域で販売している姿をおじいさんが元気なうちに見てもらいたかったです。
そのおじいさんとの約束があったからこそ、 どんなにつらい時期や苦難があっても乗り越えて来れたのだと思います。